【ブラジル在住ライター直伝】現役サンバダンサーが語るカーニバルの裏側 (前篇)

今年のDestaque(ジスタキ:目立つ人=山車に乗る人)の衣装

皆さま、はじめまして! 海外書き人クラブ会員、ブラジル在住5年のマンゲイラ靖子と申します。普段はサンパウロ州アラサツーバ市で主に日系社会に関わる仕事に携わっております。

私には人とはちょっと変わった趣味があり、その趣味にもうかれこれ15年くらい没頭しております。それは「ブラジルを代表する祭り」で、そう言ったら皆さんもうお分かりですよね? そうです、私の趣味はSamba Carnaval(サンバ・カルナバル=カーニバル)で踊る事なのです。

もともと、子供の頃からダンス一筋でバレエや新体操に没頭した青春時代を過ごしました。大人になってもかわらずにエアロビクスやジャズ、ベリーダンスと様々に。特にラテンダンスに目覚めたのは20代後半からとやや遅咲きなのですが、それからというもの毎年のように浅草サンバカーニバルや各街のイベントでサンバを踊り、ついには単身でリオ・デ・ジャネイロまでカーニバルへ踊りに行ったこともあるくらいサンバが大好きなのです。

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今年のDestaque(ジスタキ:目立つ人=山車に乗る人)の衣装

写真は今年のDestaque(ジスタキ:目立つ人=山車に乗る人)の衣装、当日は大雨のため着替えをしたホテルで撮影

 

その趣味のお蔭でブラジルに勤める主人と出会い、サンパウロへ移住することになり活動の場はブラジルへと。現在までにサンパウロのカーニバルには計5回出場し、今年(2017年2月)もカーニバルの山車の上で踊って来ました。山車の上といっても皆さんは「???」かもしれません。カーニバルにはそれぞれ「ポジション」というものがあります。そのポジションとはいったい?

 

1 サンバは実は競技。各パートで隊列を構成し得点を競う

サンバはただのお祭りだと思っている方も多いのでは? 露出の高い羽根を背負った衣装のダンサーが踊るという煌びやかなイメージが一般的かと思われます。しかし、実はカーニバルは採点競技で細かな採点項目があります。そして隊列を構成するために各パート毎にAla(アーラ:隊列)というものが点在します。

サンバパレード

観客もただ見るだけではなく自分の「お気に入り」のチームを応援している場合が多い

 

たとえばサンバの音楽はBateria(バテリア:叩く人)と呼ばれる打楽器隊が主に演奏しています。そして打楽器隊の前にはRainha da bateria(ハイーニャ・ダ・バテリア:バテリアの女王)と呼ばれるチームのトップのダンサーやPrincesa da bateria(プリンセーザ・ダ・バテリア:バテリアの姫)等のいわゆる「サンバの格好」をした美しいソロダンサーが力強いサンバステップを踏みながら打楽器隊の士気を上げます。

女王の華麗なサンバステップ

女王の華麗なサンバステップに魅了されること間違いなし

 

そしてパレードではAla(アーラ:隊列)と呼ばれるその年のテーマを表現するダンサー達がいます。

その中にはPassista(パシスタ:サンバステップを踏む人)と呼ばれるいわゆる「サンバ」を踊る花形ダンサーも含まれます。

サンバチームの隊列

1つのアーラで300~400人、リオ・デ・ジャネイロだと500~700人になる事も

 

私も以前はこの花形ダンサーというSamba no pé(サンバノペ:サンバの足と呼ばれる独特なステップ)を太鼓の音が鳴り続ける限り踏み続けると言う過酷なポジションに居ました。一般的にダンサーの年齢は10代後半から30代前半くらいまで。しかし私は当時30代半ばでしたので、他の若いダンサーの体力についていくのがやっとで、ひと練習が終わると3キロくらいは体重が落ちていました。常に肉とAçai(アサイー:栄養満点でアマゾン原産のフルーツシャーベット)を食べながら栄養補給をしていた記憶があります。

 

それから大きなスカートを身にまとったAla das Bahianas(バイアーナ:サンバの起源バイアーナ地方の衣装を着た年配の女性達の集団)が居ます。

優しいバイアーナはチーム皆のお婆ちゃんのような存在。休憩時間にお菓子をくれることも(笑)

優しいバイアーナはチーム皆のお婆ちゃんのような存在。休憩時間にお菓子をくれることも(笑)

 

チームの皆はいつもこの人達への敬意を払いながら行動します。だって、皆が大先輩であり今のサンバのルーツを作った方々なのですから。席が空いていたら譲り、会話をする時も丁寧語で歩く時も道を譲ります。そしてチームのシンボルの旗を持つPorta Bandeira(ポルタ・バンデイラ:旗持ちの女性)とMestre Sala(メストリ・サラ:旗持ちの女性をエスコート)の重要なペア、そしてジスタキ「目立つ人」と呼ばれるAlegoria(アレゴリア:山車)に乗るダンサー。

※メストリ・サラはサンバのマスターで旗持ちの女性をコントロールしながら、観客をサンバの世界へ誘う役割を持つ

サンバチームの旗

サンバチームの旗に観客も拍手喝采!旗は由緒ある特別な物なので一般人が触る事は許されません

 

サンバパレードの一番先頭のComissão de Frente(コミサン・ジ・フレンチ:最前列でその年のテーマを表現する役割のダンサー)等々、細かく分類するとまだまだあるのですがこのあたりの出来は採点と特に密接に関係しています。が、、、長くなるので割愛させていただきます。先ほどお話した通り今年の私のポジションは山車の上で踊る「ジスタキ」というダンサーでした。

山車の上の女性ダンサー

火の鳥「フェニックス」の上に女性ダンサーが左右各4人、アジア系は私だけ

 

大体ですが1パレードに1チーム計3000人程のダンサーやミュージシャンが参加し、その中で山車が5~7台くらい通ります。各年のテーマを表現する重要な装飾がなされ、ゆっくりと走る山車の上には10人~20人くらいが乗れるように台が設置されています。台上はかなりの高さがあるため、そこでしっかりと踊るにはそれなりのダンス経験が必要になります。危険を伴うポジションであるが故、毎年ジスタキの落下や山車の衝突事故等のニュースも少なくありません。その度に怪我人の有無は他人事ではなく感じられ心配します(私はジスタキを過去2回経験しています)。全く初めての観光旅行者でも参加できるポジションもありますが、大抵のダンサーは目指すポジションを予め決めて、そこに向かって鍛錬をします。それでは、それぞれのポジションがどのように決まっていくのでしょうか?

 

2 ポジション獲得にはまずはEnsaio(総合練習)への参加が重要

まず、Ensaio(エンサイオ:総合練習)と言われる練習会が各チームのQuadora(クアドラ:本部事務所兼練習会館)で週末に行われるのですがそこに行く事から始めましょう。所在地はインターネットで調べられます。カーニバルシーズンが終わるとPascoa(パスコア:キリストの復活祭)というカソリックの宗教行事の準備期間に入るため大体のEscola de Samba(エスコーラ・ジ・サンバ:サンバチーム)はお休みに入ります。この期間は練習をしていないことが多いので渡航者は要注意。その後6~9月くらいまでは練習会も遊びを踏まえつつ緩やかに行われます。各サンバチームのその年のパレードテーマが決まり、ポジションに合わせた衣装のデザイン画やSamba de Enredo(サンバ・ジ・エンヘード:その年のテーマ曲)が発表されるの大体10~11月頃です。その頃から一気に練習が活気を帯びてきます。

サンバの練習場の様子

総合練習の熱気の凄い事! 皆汗だくでビールが飛ぶように売れる

 

日本からサンバダンサーとして長期滞在する人は大体この時期から現地に入ります。各ポジションには必ずHarmonia(アルモニア:調整役)というボスがいます。まずはその人に会って「今年はこのポジションで踊りたい」という熱意を伝えます。それから練習会に参加するとあなたはボスにSambaの踊り方、テーマ曲の歌い方をよく見られます。そして、既にエントリーして合格したダンサー達も「新入り」のチェックをしています。特にパシスタ(花形ダンサー)などのポジションは厳しかった思い出があります。

 

私の場合は日本で10年ほどのサンバのキャリアがありまして、俗に言われる「サンバノペ」というステップを踏んできたのですが、ダンサー全員で円陣を組み一人づつその中で囲まれながらソロで踊らされます。私が囲みの中へ入った時は、まず日本人でこの「円陣」の中に入れた人が今までにほぼ居なかったこともあり数々の野次が飛びました。Batucada(バツカーダ:打楽器のみの音楽。アップテンポ。)に合わせて踊るうちに男性ダンサーが入ってきて私を引きたてるように踊り始めました。認められた気がして嬉しくてなり、さらに踊り続けると次々とダンサーが入れ代わり私と掛け合ってくれます。その瞬間の「緊張」とその後の「喜び」は今でも忘れられません。総合練習が終わっての帰り際、ボスが私のところへ来て「次の総合練習ではこれを着なさい」とみんなとお揃いのパシスタ専用ワンピースを渡してくれました。「今日のこれテストだったの???」と後から思いました。それからは同じパシスタの友達に「Japonha!」(ジャポーニャ:日本人の女の子……と言ってもそう言う年齢じゃないのですが)というようなあだ名がつき、次の年からは練習会にいけば「元気だった!?」と皆でAbraoço(アブラッソ:抱擁)しながら再会を喜び、ボスからもテスト無しで同じパシスタ枠に入れてもらえるようになりました。

 

それから2年が過ぎサンパウロの生活も安定して来た頃、なんと転勤の話が舞い込み同じサンパウロ州でも州の最西端に近くどちらかと言うと南米大陸中部のマットグロッソ州に程近いサンパウロ市から500㎞も離れた土地へ引っ越す事になりました。もう今までのように毎週末の総合練習には参加出来なくなります。私は泣く泣くパシスタのポジションからはずれ、ステップはあまり踏まずに身体表現を大事にする「ジスタキ」のポジションへと移る事になりました。チーム内での移動はある程度の融通が効くため、転勤してからすぐの年は特にテストも無くスムーズにジスタキとしての活動が出来ました。昨年(2016年)は諸事情によりカーニバル観戦だけの年となりました。そして今年(2017年)心新たに古巣を飛び出て新しいチームでジスタキと成りました。前回と大分違うのは、日本で仲の良かったブラジル人の友人がこのチームに既に居たことが、全てにおいての後押しをしてくれました。本来ならテストがあるのでしょうが、テストはスキップ(今までのキャリアを考慮してくれていたら嬉しい限り)で住所も遠いため、練習会参加も最小限で本番に挑めるような配慮を頂きました。極めて稀なことではありますが、ブラジルに於いて「コネ」があることはとても大切だと思いました。

 

3 衣装は工房でオーダーメイド。直前にも変更があり本番まで何が起こるか分からない

あのきらびやかな衣装はどう作っているのだろう? と興味ある人もいるのでは。

練習会をこなしてDesfile(ジスフィーレ:パレード)に出る事が決まったら今度は衣装を注文します。大体のポジションはアトリエ(衣装工房)で衣装を作ってくれます、それもあなただけのオーダーメイドです。まず、申し込み用紙に住所氏名といった個人情報を記入します。それから、衣装代を支払います。昔は全て現金払いだったため、大金を持ち歩きながら練習会へ行くのは危険が付きまとい緊張しました。日本と違ってブラジルは治安が悪く強盗や泥棒が多いため本当に油断ができません。腹巻きに現金を隠して行ったこともありました。しかし、最近ではクレジットカードも使え、なんと分割払いもできるのです。カード一枚持っていけば良いのですから、世の中も便利になりましたね。支払が済むと今度は採寸です、自分に合う衣装をオーダーメイドで作るわけですから当然です。細かな計測が続きます。今年は私が遠方に居たために採寸は自身で済ませメールでのやり取りとなりました。以前だったら、採寸やフィッティングのたびにアトリエに呼び出され、タクシーで遠くまで通ったものです。

サンバの衣装倉庫

衣装工房はBarracão(バハコン)と呼ばれる大型倉庫の中にあることが多い

 

なにせ衣装工房にはその年の衣装がどっさりあり、同じく衣装を頼んでいるダンサーも何人もいるのでそこでは「やあ元気?」とダンサー友達と会うこともしばしば。お喋りをしながら待ち時間を過ごします。

毎年、衣装のトラブルは付き物ですが今年の私達3ºAlegria(第三アレゴリア:三番目の山車)のジスタキを悩ませたのは、なんと衣装にパンツが含まれないという衝撃的な指示でした。

ダンサー内では情報共有としてメッセージアプリ「WhatsApp」でやり取りをしていたのですが、調整役のホーズィから「今年の衣装のサンプルです」と発信された写真、どうみてもマネキンにCalsinha(カウシーニャ:下着のパンツ)が無いのです。不思議に思いつつイザベルというダンサーが「パンツないの?」と質問したところ、「現状ではそうだ」という答えが返ってきたのでさぁ大変。ダンサー達はメッセンジャーで大騒ぎです。私も何回か練習会で隣あったマリアーニと「どうしよう、パンツがないと集中して踊れないわ」とか「山車に乗ったら下から見えちゃうじゃない!」とやるせない不満をメッセージでやり取りしていました。

パンツのない衣装

このマネキン画像が波紋を呼び、ダンサーが大騒ぎ

 

実を言うと私は心の中では「きっと、なんとかなるだろう」とのある程度の楽観はしていました。実は3年前にも既に「パンツ無し衣装」では散々振り回され、最終的には肌色のパンツを履くことで決着し、ダンサー皆が当日「肌色のパンツ履けて良かったね」が挨拶だったのです。結局、今年も本番前日に「パンツは赤のTバックを各自用意!」と通達があり慌てて買いに行きました。

何年か前にパシスタだった時はパレード本番の日にようやく衣装の受け渡しが出来たなんて事もありました。受け取った衣装をフィッティングしてみるとなんと24.5cmで採寸していた靴が26.5cmで出来あがってきているじゃありませんか。「これじゃ踊れない!」泣く泣くスーパーマーケットへ行き、食器洗い用スポンジを何個も買って靴の中に詰めた事も。ブラジルのいい加減さというのがこんな部分にも表れている通り、衣装がきちんと仕上がって来ることなんてまず無いと思った方が正解です。おかげで裁縫道具はいつも提携するという癖も身に付きました。

→(後篇)につづく

【文:海外書き人クラブ マンゲイラ靖子】

(「海外在住ライターを使ってみたい」と思われている方。「海外在住ライターになりたいと思われている方。耳寄りな情報があります。ぜひこのページの下のほうまでご覧ください)



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