【災害対策】洪水と床上浸水のあと何をすべきか1~まずは「逃げるが勝ち」

洪水で散乱した書籍や家具など

2011年7月上旬に西日本を襲った大雨。多くの家々が洪水に遭い、床上まで浸水していると思います。

オーストラリアのブリスベン在住の私も、じつは2011年1月に床上1メートルの浸水を実際に経験しました。

床上浸水のあと、実際に何をしたか、何をすべきか、何を思ったか。

当時知り合いや仕事仲間に近況を知らせるために送り続けた一斉メールがあるので、それをもとに数回に分けて被災前後の経験を綴っていきたいと思います。被災した皆様に、少しでもお役に立てばと思います。

とはいえ、1回目はまず洪水の前からのできごとや心境を書いてみます。「床上浸水後」のことを早くお知りになりたい方は、【床上浸水のあと何をすべきか2】からご覧ください

こんにちは。海外書き人クラブお世話係、オーストラリア在住ライターの柳沢有紀夫です。

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1 洪水前日

じつは私が経験したのは突発的な洪水ではありません。長く続いた雨でダムの貯水量が200パーセント近くに。「このままでは決壊の恐れがあり、そうなった場合、ブリスベン市全体が飲み込まれて甚大な被害となる。そうなる前に放水を開始する。そのせいで一部の家屋が浸水する可能性はあるが……」という状況でした。

というわけで少なくとも前日には「浸水するエリア」がインターネット上の地図で公表されていました。それによるとわが家の隣の家の角までは「確実に浸水」となっていました。わが家はそこよりも少しは高いので、浸水するかしないかギリギリの状況です。とはいえ「こういう情報はあとで抗議されないように大げさに発表するものだからなあ」と高を括っていたところもあります。

朝、当時12歳の長女は70キロ離れたゴールドコーストで開かれるバレエ教室の夏期講習に、バレエ友だちのおかあさんの車に便乗して行ったのですが、見送ったときには夜、普通に会えるものだとばかり思っていました。

ところがブリスベンとゴールドコーストを結ぶハイウェイやその他の道が浸水して通行止め(こちらのハイウェイは日本の多くの高速道路のように高架ではなく、地面に多少盛り土をしただけです)。結局娘はバレエ友だちのおかあさんの友人宅に泊めていただくことになりました。

このときいちばん気になっていたのは「何日も居候させられないので、早く迎えに行ってやらないと」ということです。

 

2 洪水当日の朝、家を脱出

朝5時半ごろ起きたら、庭の一部に水が入っていました。

庭に入ってきた洪水

庭に入ってきた水。このときはまだプールを飲み込んでいないので、プールの水もきれいだ

わが家の庭は家より1メートルほど低いところにあるのですが、30分後には水位が50センチほど上がっていて、プールは完全に水没。ネットの地図のアップデート版などで確認したところ、やはりわが家は「浸水の危険が大」となっていました。

庭に入ってきた水

庭に入ってきた水。すでにの境もわからなくなっているがブルーのシートの手前がプール。洪水の水が茶色なのがわかる

1時間後の朝6時には、洪水の影響で停電。インターネットにも接続できなくなりました

今後も水位が上がるとのことで、車が出せなくなる前に、洪水の予想はない安全なゴールドコーストに避難することにしました。知り合いの知り合いの家に泊まっている娘は心細いと思ったからです。

自分たちだけ被災地をあとにするのは後ろ髪を引かれる思いもあるのですが、停電では仕事ができません。また、避難できる人はとっとと避難するのが、結局は世の中のためになると考えました。他の人の手助けをできる可能性もあるのですが、逆に足手まといになる可能性も高いからです。

私が手助けできる量と、迷惑をかける量を秤にかけたら、やはり後者のほうが大きいと思います。

じつは私は阪神淡路大震災で被災したのですが、その際切実に思ったのが一番すべきなのは救援のプロ(日本で言えば自衛隊など)が活動しやすくすること助けるべく被災者が減れば減るほど、彼らは活動しやすくなり、結果的に被災者も助かるのです

自分が被災者になりそうだったら、できるだけ早く安全な場所に逃げるべきだと思います。

 

とりあえず、家を脱出して、安全なゴールドコーストを目指したはいいのですが、ルートがあちこち遮断されています。結局、ブリスベン市の中心部から数キロ南にあるわが家から、70キロ南にあるゴールドコーストに向かうのに、一度市の北側に出て、高台を回るという迂回ルートを取りました。

途中、ホットスポットであるマクドナルドでインターネットに接続し、コンドミニアムを予約しました(※注 当時は携帯で予約ということができなかったのだと思います)。

 

3 ゴールドコーストに到着。隣町の不幸は他人事

昼前にバレエの夏期講習が開かれている場所で娘との再会を果たした後、コンドミニアムに移動。テレビをつけ、自分が住んでいるエリアが水浸しの映像を観て、茫然自失になりました。

 

ゴールドコーストに来てひしひしと感じるのは、近隣の町の被害でも、人々にとってはどこか他人事に過ぎないということです。

メガネ屋さんでコンタクトレンズを買おうとしても、「処方箋がないと受け付けない。それがクイーンズランド州の法律だ」の一点張り。

コンドミニアムの受付でも、口には出されなかったけれども、「避難してくる人がやってきて、いいチャンス」と思っていることがひしひしと感じられました。夏休みの今は、彼らにとってはビジネスチャンスなのに、ここのところの大雨でキャンセルが続き、客に飢えていることもあるのでしょう。

そして極めつけは、お医者さんの対応。次男が目の中にできものができて、総合医(ジェネラル・プラクティショナー。略してGP)に行きました。こちらでは救急車で運ばれるような急患は除き、まず総合医にかからないと、専門医に診てもらえません。

その女性の総合医は、次男の目を診て、「こんな症状、見たことないわ。私には何が原因かわからない。洪水の泥水が入ったのかもね。アハハハハ」。笑い事じゃないと、目が点になったとは、このことです。

被災者同士がジョークで勇気づけあうのはアリでしょうが、外部の人が被災者にくだらない冗談を言うものではありません。さすがにこちらがムッとしたのが伝わったのか。それ以降はつまらない冗談を言うことはなくなりましたが。

いつも陽気なオージー気質はいいのですが、少し閉口しました。

 

とにかく。ブリスベンから70キロしか離れていないのに、ゴールドコーストはあまりに平和です。

じつはこれは阪神淡路大震災でも経験したことです。地震の3日後、これからもしばらく、水もガスもない生活が続くことを察して、普段は1時間で着く妻の姫路の実家まで裏道を通り続けて3時間以上かけて、妻子を送り届けたとき。店も何もかも、普通に営業していることが信じられませんでした。

まあ、そのおかげで、私たちはスーパー銭湯に行き、3日ぶりの風呂に入れたわけですが。

また妻子を妻の実家に泊めさせてもらうことにして、私は会社のある大阪でホテル暮らしを始めたときも、何事も変わらない光景に驚かされました。

ただ、「他人事」と感じる人々を非難するつもりはありません。それはあたりまえであり、同時にある意味でそうでなければ困るところもあります。被災地の人々が働けなくて、行動も制限させている分、まわりの人々にがんばってもらわないといけないこともあるのですから。

 

洪水の影響がまったくないゴールドコーストでも、スーパーでの棚からは5リットルとか10リットル、20リットルという大型のミネラルウォーターが売り切れになっていました(1.5リットルくらいのものはまだ残っていました)。

これはたぶん、被災者たちが買って行ったのか、または水不足になることをおそれた地元の人々が、オイルショックのときのトイレットペーパーのような勢いで買い占めたのか。

とにかく、昨日の夕方の時点では、水以外に不足になっているものはゴールドコーストのスーパーでは、見当たりませんでした。

 

報道では、ブリスベンの水道水はまだ飲めるようです。昨年のアフガニスタンの洪水では、飲み水がなくなって、汚水に手をつけざるを追えなくなり、赤痢などの伝染病が流行り、二次的な犠牲者が特に乳幼児を中心に増えました。

このままきれいな水道水が提供され続けることを祈るばかりです。

 

4 ゴールドコーストに3泊してブリスベンにもどる前日

結局ゴールドコーストのコンドミニアムには3泊して、いったん自宅に様子見のためにもどることにしました。水は引いているのはわかったのですが、長女のバレエ教室がゴールドコーストでもう一日あるので、あくまでも「いったん」です。

翌日ブリスベンに帰ることにした夜、子どもたちには「たとえ浸水していなくても大喜びしないように」と言い聞かせました。

17歳の長男は「そんなのわかってるよ」。

12歳の長女も「周りで浸水している人もいるから、自分たちだけがだいじょうぶでも喜べないよね」。

知らない間に、心のほうも成長してくれているようです。

 

とりあえず、「浸水」という意味では峠を越えました(今後、片づけが残っているし、汚水や蚊を媒介にした疫病などの心配も、まだまだ残ってはいるのですが)。いつまでも落ち込んでいても仕方がないと思い、夕方、長男とともにビーチに行きました。

次男は結局、「ウイルスによる炎症だろう」との診断で海には入れません。バレエの夏期講習で、毎日正味5時間のレッスンを受けてきた長女も疲れ切っていて、とてもいっしょに行く気にはならなかったようです。

波は何事もなかったかのように打ち寄せてきます。水平線は、いつものように遠くに見えます。人々は波と戯れたり、日焼けをしたり、普段と変わらないように過ごしています。

なんだか自分の家の、少なくとも庭は浸水しているというのが、実際に見てきたことなのにもかかわらず、遠い世界の話のように感じます。

 

テレビではクイーンズランド州知事(女性)やブリスベン市の市長(男性)が、会見やインタビューでしょっちゅう画面に現れ、現状を報告し、これからなすべきことを伝え、被災者を勇気づけています

女性州知事が会見で、目に涙をためて声を詰まらせながら語った「クイーンズランダー(クイーンズランド州民)はこんなことでは負けません」という言葉と姿には、テレビを観ることができる多くの人が感動して、希望を見出したはずです。

市長自らが語った「避難民が家にもどってやること」、つまり「まず貴重品が流されたりしていないか確認し、保険などの請求のために被害状況をカメラでもビデオでもいいから撮影し、その上で片づけを開始」とか、「自分の家や近所の片づけを手伝うときには、ケガを避けるために可能な限りブーツをはき、蚊に刺されたり日焼けしたり熱中症になるのを防ぐために、つばの広い帽子と長袖長ズボン姿で」といった話も、とても具体的でわかりやすかったです。

このようにリーダーたちがきちんと現状報告し、これからの指針を示し、また勇気づけることは災害時にはとても重要なことだと、改めて思い知らされました。

 

彼らとは逆に、オーストラリア連邦政府(つまり国全体)の首相は、被災地であるブリスベンに来たのはいいのですが、避難所を訪れている映像でも、インタビューを受けるときにも、へらへらと笑っている印象が強いです。

普段から「仏頂面」と非難されてきたので、本人は笑みを絶やさないことを意識しているのかもしれませんが、どうにも他人事のようで、真摯な気持ちが感じられず、少なくとも被災者のほとんどから反感を買ったはずです。

「クイーンズランド州のみなさん。オーストラリアはみなさんのそばにいて、みなさんといっしょに進みます」という内容の演説の原稿はなかなか良かっただけに、少し残念です。

 

自分が同じく被災民となった阪神淡路大震災のことを思い出しました。

自衛隊の出動依頼が遅れたことをはじめとして、政府や地方自治体の対応が遅かったことはよく指摘されていますが、国や行政のリーダーたちの「言葉」もほとんどなかったように思います。

もしかしたら私の記憶力に問題があるのかもしれませんが、あのときの内閣総理大臣も兵庫県知事も神戸市長も誰だったか、名前や顔が思い出せません。

これからも、残念ながら災害や紛争が起こることはあるでしょう。そのときに、もちろん「態度」や「行い」が伴っている必要があることは当然ですが、「言葉」がどれだけ人々を勇気づけるのか、日本のリーダーたちも理解してほしいと思います。

いや、何も行政だけではなく、企業のリーダーたちにも、この不況のおり、同じことが言える気がします。

 

新約聖書のヨハネによる福音書第一章一節は、「初めに言(ことば)があった」で始まります。

私はクリスチャンでありながら、今までこの言葉の意味がよくわからなかったのですが、今日(もう昨日になりましたが)、初めて理解することができたような気がしました。

物書きでありながら、「言葉の力」を再認識させられました。

 

【床上浸水のあと何をすべきか2】に続きます。実際に自宅に戻って何を感じたか、そして何をしたかをお伝えします。

【文・写真 柳沢有紀夫】

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